夜明けと共に 神に祈ろう『オン・ザ・ミルキー・ロード』レビュー


作品において作家性を示すフィルム・メイカーには大抵当て嵌まる事ではあるが、その対象が世界三大映画祭(カンヌ国際、ベルリン国際、ベネチア国際)を制覇したエミール・クストリッツァ監督ならば殊更に、その祖国について理解を深める必要がある。
エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica/Емир Кустурица)は1954年11月24日、旧ユーゴスラビアのサラエヴォに生誕。セルビア人の父とボシャニャク人の母の元、幸福な幼少期を過ごした。そんな裕福な環境への反発なのか、エミールは次第に素行を悪くしていく。だが、これが私達にとっての僥倖となるのだから、運命とは誠に粋なものだ。不良少年だった頃に覚えたロックが音楽の才能を開花させ、手を焼いた両親の差配で留学させた映画学校(プラハ芸術アカデミー)がエミールの人生を決定付けたのだから。
ユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と揶揄される多民族国家である。クストリッツァ監督が生まれた頃は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、所謂「第二のユーゴスラビア」と呼ばれた時代だ。ユーゴスラビア王国を降伏させた枢軸国による分割統治時代の第二次世界大戦当時からパルチザンとして抵抗を続けた、ヨシップ・ブロズ・チトー(後の首相、大統領)を中心とした共産主義勢力が、東ヨーロッパ諸国では唯一ソビエト連邦の支援なしに建国した社会主義国家である。チトー首相がヨシフ・スターリン書記長と対立した背景もあって、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は東欧でも独自路線を歩むことになる。アメリカによる欧州復興計画(マーシャル・プラン)を受け入れ、ギリシャ、トルコと「バルカン三国同盟」を締結。ワルシャワ条約機構に加盟しないどころか、北大西洋条約機構(NATO)との同盟国ともいえる立場を取る。社会主義共和国であるにも拘らず、抵抗勢力ではない正規軍が西側の武器供与を受けるというのは、他に例を見ない。更に、スターリンからフルシチョフへ政権が替わるや否や、ソ連との和解に成功。相互陣営の貴重なパイプ役として、冷戦下で大いに存在感を発揮した。
だが、そんな豊富な武器流通がユーゴスラビア内紛の遠因となるのだから、皮肉なものだ。1980年チトー大統領が死去すると、すぐさまコソボで独立運動が勃発した。1989年ベルリンの壁崩壊に始まる東欧革命により、ユーゴ国内にも民族色の強い政権が次々と誕生。セルビア主導のユーゴスラビア連邦軍は、スロベニアと「十日間戦争」を、クロアチアと「クロアチア紛争」を戦い、泥沼の「ユーゴスラビア紛争」へと突入していく。1992年の「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」を経て、連邦に留まっていたセルビア共和国とモンテネグロ共和国は「ユーゴスラビア連邦共和国(通称:新ユーゴ)」を建国した。しかし、2003年には新ユーゴも解体、「セルビア・モンテネグロ」が誕生した。これにより、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国が全て連邦を離れ、「ユーゴスラビア」の国名は世界地図から姿を消すこととなった。
何かを思い出さないだろうか?そう、「第二のユーゴスラビア」の歴史を紐解くことは即ち、エミール・クストリッツァ監督の言わずと知れた代表作『アンダーグラウンド』(1995年)の作品解説たり得るのだ。

そんなエミール・クストリッツァ監督『マラドーナ』(2008年)以来の待望の新作が、9月15日より公開される。「Based on three true stories, and many fantasies/3つの実話に基づき、多くの寓話を織り込んだ物語」という『オン・ザ・ミルキー・ロード』は、クストリッツァ監督初めてのラブストーリーである。

『オン・ザ・ミルキー・ロード』ストーリー:
戦時下、兵士たちに毎日ミルクを届ける男がいた。コスタ(エミール・クストリッツァ)は、右肩に隼のリュビツァを乗せ、ロバのトミーに乗り、銃弾よけの傘を差して今日も最前線を渡り歩く。
コスタの雇い主のミレナ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)は、彼に想いを寄せている。今は戦場にいる兄のジャガ(プレドラグ・“ミキ”・マノイロヴィッチ)の結婚と同時に、自分らも結婚式を挙げたいと目論んでいる。
ある日、難民キャンプに絶世の美女(モニカ・ベルッチ)が現れる。彼女はセルビア人の父を探しにローマから来た際、戦争に巻き込まれたという。ミレナは兄ジャガの花嫁候補にと喜び勇むのだが、なんと花嫁とコスタはお互いに惹かれあう。
ほどなく戦争は終結し、ジャガは戦地から帰ってくる。コスタ達の気持ちを他所に、ミレナは着々と「ダブル結婚式」の準備を進めるのだが――。

隼、家鴨、ロバ、鶏、豚、蝿……開始3分で、これだけの生き物がスクリーンに登場する。クストリッツァ監督は『オン・ザ・ミルキー・ロード』の撮影に3年もの期間を要したそうだが、動物たちのリアルな演技(?)を引き出すことに多くの時間を費やしたとの逸話がある。
だが、監督が一番描きたいと思う生き物は、デビュー以来揺らぐことはない。謂うまでもないが、それは人間である。
主人公をエミール・クストリッツァ監督自らが演じ、これは『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』(監督:クリスチャン・カリオン/2009年)での初主演以来の主演作となる。暗い過去を抱えつつも日々の糊口を凌ぐコスタを、クストリッツァは飄々と演じ切る。
また、コスタと同じように過去の暗い影を笑顔に湛えるヒロインを、「イタリアの宝石」モニカ・ベルッチが熱演する。そして、『パパは、出張中!』(1987年)以来というから本当に長らくクストリッツァ監督と盟友関係にあるミキ・マノイロヴィッチが、流石の演技で銀幕を引き締める。さらに、スロボダ・ミチャロヴィッチの魅力が、観客を虜にする。
戦争という究極の非常時においても、日常はある。最前線の村でも、人々はゲームに興じ、村のシンボルを守り、看板娘に秋波を送る。朝は笑顔で挨拶を交わすし、昼間は仕事をこなし、夜になれば酒を酌む。物語の舞台は「とある国」であるものの、長く内戦が続いた旧ユーゴスラビアが想起される。
人々の、この上なく危険で、堪らなく愚かしく、しかし何処か長閑で、そこはかとなく可笑しげな日々の暮らしを、様々な生き物がそれぞれの目で静かに見守る。

『アンダーグラウンド』のチョチェク(ジプシー・ブラス)に夢中になった者は多いだろうが、クストリッツァ作品には聴いた途端に耳を奪われ、胸を鷲掴みにされるような音楽が付きものである。心を揺さぶる劇伴(BGM)、及び演奏シーンは、ロックバンド「ノー・スモーキング・オーケストラ」を率いて世界ツアーを回るミュージシャンでもあるエミール・クストリッツァの真骨頂といえる。『オン・ザ・ミルキー・ロード』では、ノー・スモーキング・オーケストラ所属にして監督の実子であるストリボール・クストリッツァも音楽に参加し、作品世界を大いに豊かなものにしている。
劇中ではエミール・クストリッツァ自身がツィンバロムを演奏し、なんと動物たちとのセッションを見せるという、耳だけでなく目にも驚きを齎してくれるのだ。

長らく地下生活を強いられ、いざ地上に出てみると祖国は消滅していた――『アンダーグラウンド』の物語は、ティーンエイジを放蕩して過ごしたエミール・クストリッツァ自身のアイロニーを込めたセルフ・パロディとも読み解ける。
クストリッツァ監督が『アンダーグラウンド』に配した「苦痛と悲しみと喜びなしでは、子供たちにこう伝えられない。「むかし、あるところに国があった」、と」の台詞は、ユーゴスラビアの国情を知らぬ者の心をも激しく揺さぶった。恐らくはリー・クアンユー(Lee Kuan Yew/李光耀)シンガポール初代首相の「Forgive, but never forget」から引用したであろう、クロ(ラザル・リフトフスキー)に語らせた「許そう、でも忘れないぞ」の台詞は、祖国を失くした監督がいつか辿り着きたい境地だったのかもしれない。
クストリッツァ監督は、今も自身を「ユーゴスラビア人」と称している。

ユーゴスラビアという名前が地図から消えて20年あまり、クストリッツァ監督が辿り着いたのは、「愛」であった。
巨匠エミール・クストリッツァが贈る、とびっきりのラブストーリーを、是非とも劇場で。

文:高橋アツシ

『オン・ザ・ミルキー・ロード』
9月15日(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:ファントム・フィルム
©2016 LOVE AND WAR LLC

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