地方都市で見た“熱量の交感会” 『ふるいちやすし監督特集』鑑賞記


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地方都市で見た“熱量の交感会” ――『ふるいちやすし監督特集』鑑賞記――

岐阜県岐阜市に、『MKE映画祭』と言う自主映画公募コンペティションがある。
“MKE”とは「M“み”て K“く”れたって E“いい”じゃない」の略称で、自主制作短編映画の発表の場を作り、制作者と観客の交流の場を促進し、映像制作を身近にすることによって地域の映像文化の振興に寄与することを目的としている非営利の映画祭で、これまで2回開催されている。
同映画祭は独自に選定した特集上映も企画しており、第1回は2014年10月『MKE映画祭 Annex01』として俊英・内田裕基監督の特集を上映した。

2015年2月28日『MKE映画祭 Annex02』が、ハートフルスクエアーG(岐阜市 橋本町)にて開催された。今回は、国内のみならず世界の映画祭で受賞実績のある、ふるいちやすし監督の特集上映である。
モナコ国際映画祭で受賞した2作・未発表作品1作を含む合計4作品を上映し、全作品のコメンタリーをふるいち監督自らが行うとは、誠に贅沢な上映会である。ふるいち監督作品は岐阜県では初公開であり、自らによると同監督の作品4作の特集上映は初の試みだそうで、初物尽くしの大変貴重な鑑賞体験となった。
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『艶~the color of love~』(2013年/18分)
地上に舞い降りた無垢の天の女(あまのめ)が男の愛に汚されていくが、それさえも艶やかな色彩に変えて纏う。日本女性の闘わない強さをテーマにしたアートムービー。
ふるいち監督
「映画と言うのは、美術であり、文学であり、音楽である……あってほしいと思ってます。それを、役者さんが生き物に変えてくれる――そんな気持ちで、全てに美を求めていきたいと思っていつも映画を作っています。その中で、ロケーションはとっても大事なものだと思っています。僕は出身は京都ですが、今は東京に住んでいます。正直、東京ほど映画が作りづらい所は無いです。何処で撮るにも複雑な許可が必要で、カメラがとあるビルに向いた瞬間「これは○○先生の建物だから撮っちゃダメ」だとか……。『艶』は出てくれた書道家の鈴木宥仁が静岡に住んでいて、そこで撮った作品です。『艶』だけでなく殆どの作品は東京を出て、その作品に合った場所を探して撮ります。悔しいことに、地元の方は恵まれているロケーションに気付いてないんですよね。一流の映画が何処で出来るのかって考えていくと、地方都市が持ってる可能性は物凄く大きいんです。そして、美しい景色だけじゃ良い映画は撮れない――その景色で撮る意味が、撮る側に無いといけないんです」

『無言歌』(2011年/12分)
募る思いを言葉にしないことで誰にも壊されないものにする。高校生と教師の間の淡く、しかし確かな恋を描いたショートストーリー。
ふるいち監督
「日本語では、3種類の文字を使います。こんな民族いません。それでも飽き足らなくて、絵文字まで使いたくなっちゃう――いったい日本人は何を伝えようとしているんだろう……“言葉で伝えたい”と言う欲望の塊ですね、我々は。言語学者に聞いた話だと、中国の文字が入ってくるまでの日本語は世界でも珍しい“音で伝えようとする言語”らしいです。だから、擬態語とか擬音語が凄く多いんです。だけど、表情やボディランゲージと言うものは、退化していると凄く感じるんです。言葉が豊かな分、そっちの方は必要なくなったのかも知れません。『無言歌』の主演の女の子は、当時17才になったばかりだったんです。劇中、揺れ動く表情が素晴らしかったと僕は思ってるんです。感情の移り変わりが眼差しや口元に全部出ていたのは、哀しいですけれど彼女がまだ子どもだったからなんでしょう」

『最初の罪人』(未発表/16分)
1950年代の日本。小さな研究所の小さな発明とちょっとしたわがままがやがて地球規模の大きな問題に発展しようとは……。社会派コメディー?
ふるいち監督
「政治家は、言えないことが一杯あります。皆さんが観てる前提で作られてるテレビ番組は、お茶の間に突然流れて迷惑なものは作れないです。でも、映画は個人の持つ理想を能天気に形にしていいんじゃないかと、僕は思っています。「何言ってんですか……たかが映画じゃないですか」って言っていいものだと思います。それが文化の使命なんじゃないかと――「いつかああ言う絵を見たことがあるけど、あれは悲しい絵だなあ」とか、「ああ言う歌を皆が唄った時代があったけど、今こそもう一度それを考えるべきだなあ」程度の力しかないんですよ、文化には。だけど、それってとても大事なことだと思うんです」

『彩~aja』(2012年/49分)
奔放な天才画家が人の世を避け、逃げ込んだ森の中で偶然出会った売れっ子画家を救う。その母性にも似た愛はやがて一つの絵に塗り籠められてゆく。
ふるいち監督
「自分の信じた美意識を合議制ではなく貫くと言うことが、僕はとても大事なことだと感じています。『彩』は、僕と助監督と出演者――たった5人で創りました。美意識を濃く共有しよう――とにかくコミュニケーションと取り、一緒の方向へ向かっていこう、と。これは、賛否両論だと思います。それぞれのポジションが技術を込めてやる、その素晴らしさも重々承知ですけど……やはり、一つの美意識を胸張って出してみよう――これが、映画のあるべき姿なんじゃないかと僕は信じています。だから、僕の創る映画って、素直になればなるほど、自信を持てば持つほど、何百万人の人に受け入れられるようなものではなくなっていくと思います。僕の映画のエンドロールって、短いでしょ?その代わり、一人ひとりの名前がちょっとは読めるように出るじゃないですか。ブワーッと流れたら……あんなもん、読めないじゃないですか。僕はそこが気持ち悪くてしょうがないんです――本当に一つの美意識でやってるんだろうかって。そうなると、監督の支配になってしまう、プロデューサーの支配になってしまう……。映画って、そう言う物じゃないんだろうなあって……僕は、信じています」

観客席には自ら映画を撮影する自主映画監督が多数訪れており、制作者ならではの熱い質問をぶつけ、ふるいち監督はそれ以上の熱さで応対していた。
そんな“熱量の交感”は、第3回の『MKE映画祭』で上映される作品と言う形で実を結ぶのかも知れない――『第3回MKE映画祭』は、2015年6月20日の開催が予定されている。作品募集は3月20日までなので、情熱を作品として形作るなら、まさに今がその時だ。

取材 高橋アツシ

『MKE映画祭』公式サイト

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